正当化は簡単
パンデミックが起きたとしよう。そしてあなたは感染したり、しなかったりする。
感染した場合は「神の与えた試練」であり、感染しなかった場合は「行いが良いから神が見逃した」というわけである。
そもそも、神の計画は人間が知り得ないのであれば、それが試練であるかどうかもわからないはずである。
ヨブ記のいじわる天使の話も、基本的にはヨブはそれを試練だということを知り得なかった。
あなたに置かれた状況がヨブとは異なるのであれば、それを「試練」ではなく、「行いが悪いから天罰」と言うこともできたはずだ。
ところが、あなたは他人が感染した場合にのみ、それを「天罰」と呼ぶ。
思うに、そういった態度は傲慢ではないだろうか。宗教的に健全な態度があるとすれば、常に「自分への試練」であると考えたほうが、他人に起こった不幸を天罰扱いするよりもマシである。